2024年1月3日水曜日

新年2回目


無事、仕事を納めることがきた。

家の大掃除で、掃除機をかけていたら、ぎっくり腰になってしまった。

サッカーの三浦カズが言っていたが、アスリートはF1仕様で体ができているので、レーシングカーが普通道路を法規守って走っていたら壊れてしまうように、日常的にはボロボロになってしまうのだと。

職人さんも、そんなところがある。

私は、普段の散歩では、ステッキをついている。ただ歩いているだけだと、腰が抜けてくるようになってしまう。ある程度、こき使っていないと、だめなのだ。が、掃除機で腰をかがめっぱなしだったのが、今回は、いけなかったのだろう。台所でずっと立ちっぱなしというのも、腰にくる。仕事とは、ちがう筋肉を使うのだろう。

早く治して、新年に切り替えよう。

おかげさまで、自作したチラシの評判がよく、まるでアートなような、とか、こんな文章が書ける人は信用できるのではないか、とか、お客さんから声をいただいた、一年だった。

まだ、とくには春の花が終わってから、夏にかけての仕事には空きがあるので、配れてない地域へ、種蒔きにゆきます。

本年も、よろしく、お願いします。



2023年12月15日金曜日

咲く一輪


12/12に、ふと、犬走りのわきで葉をだしていた、玉簾の花が咲いているのに、気づく。

夏から秋にかけて、咲くものだそうだが、寒くなったり暖かくなったりで、勘違いをおこしたのかな?

妻が、なんでかそこに、植えておいたものだ。

ほんとになんで、こんなところに、植えたのだろう?

玉簾の花言葉には、便りがある、というのが、あるらしい。
 

2023年11月27日月曜日

文化祭

 居住している町内会の文化祭に、「庭と戦争」とタイトルして、自著三冊、出展した。

また戦争がはじまってしまったので、ふと、<にわ>をめぐるものをだしてみようと思い立ったのは、先月。


<にわ>というと、囲われた園、景観、風景、と思われがちだが、少なくとも、日本の古語の意味が違うのは、辞典を引けば、すぐわかる。が、造園学会などの庭園史では、その語義的な事実が無視されているのは、なんでなんだろうか?

<にわ>はもともとは、水平線手前の漁場であり、転じて、地平線手前の山での仕事場であり、家の外の手前の作業場である土間、のことを意味するようになった。つまりそこは、自然よりかは、人の境界的な営みの場所に近い、むしろ外との交通空間としての都市の概念を志向させていく言葉なのである。だから、海や山に出向くのには、天気を見誤れば、命取り(死の手前、あの世との境界)になる。ゆえなのか、「日和」、とも表記されたのである。

歌手の椎名林檎さんなど、「歌舞伎町はわたしの庭」と歌ったが、この言い回しのなかにこそ、起源的な意味が継承されている。だからまたそこは、鎬を削る場所にもなるのだろう。

が、戦争には、なるだろうか? 

展示説明の最後は、私の拙い短歌で閉められた。

日和見とが朝廷の国見になるまえは天を気にする民の営み


※ 出展した私の冊子『庭へむけて』『パパ、せんそうって、わかる?』『人を喰う話2』は、もともとは電子ブックとして、スマホで見られる形式のものなので、<bccks 知人書房>で検索すれば、無料で読むことができます。

2023年11月21日火曜日

2023年10月15日日曜日

菜園にブルーベリー


手伝いで入った東京のお宅から、ブルーベリーをもらってくる。

千葉の自宅に戻れば秋の早い夜なので、とりあえず菜園の空いた場所に二本、並べて植えておいた。ちょうど夏野菜のトマトやキュウリ、そしてナスも終わりにしていたので、空地ができていた。

ブルーベリーは、種類の違うものを一緒に植えておかないと、実がならないということで、二本。

時間ができた日中に、植え替えようとおもったけれど、他に場所もなく、そのままに。他の野菜を植える箇所が狭くなってしまったので、少し、拡張。そして、ダイコンやホウレンソウ、コマツナにレタスの種をまく。

猫よけに、いらなくなった竹箒の穂先で囲いをつくり、小鳥が来て糞でも落としてくれれば肥料にもなると、モミジの枝に、イチョウの幹を細工した餌台をつるす。ミカンの半割れも、枝にさげてみる。

ブルーベリーは酸性土壌を好むというから、ここの土はあっているだろうか? 先日の近所の手入れでも、庭でみかけたし、千葉県のあちこちでも農園があるようだ。

しかし、ここら辺の土は、スコップ一つ分の深さの下は、コチコチだ。粘土層なんだか。小さな芽を出しはじめたダイコンは、そこを突き抜けて、育っていくのだろうか?


2023年10月6日金曜日

もう1年


 早朝、仕事にでかけぎわ、まだ薄暗い闇のなかに、ぼう~っと白い広がりが浮かびあがる。

あの、白い曼殊沙華の花だ。

引っ越してきたばかりの去年、めずらしがって、このブログでもとりあげた花。

もう1年がたつことに気づく。

早いのやら、遅いのやら。

人も自然の速度にあわせていかないと、孤立していくのだろうな。

2023年9月19日火曜日

キュウリの復活


あきらめていたキュウリが、実りはじめた。

背丈くらいあったのを肩ぐらいまでに詰めてみたら、黄色い花が咲くだけで終わっていたのが、実になるまでに成長してくれるようになった。葉っぱも、生き生きとしたグリーンで、大きくなった。

刈った草をマルチングがわりにして、土を覆ってみたり、米のとぎ汁を、たまに散布してみたりもした。

朝、一本とって、味噌をつけてかじってみる。

ほとんど水だが、ジューシーと呼んでおこう。野菜は要するに水みたいなものだけど、その草だけで、キリンやゾウやゴリラなども生きていけるのだから、作物とは、なんだか不思議なものである。