お客さんが、お昼ご飯を作ってくれた。
お料理の先生をしていたと言っていたから、ひとつひとつの手がこんでいて、おいしい。おいなりさんも、五目ご飯のと、シラスにサンショの実をまぜてある風雅な味の二種類。こちらがお金を払わないといけないような。
デザートにも、バナナとリンゴとカキを、バターで炒めた、あたたかいもの。
窓の向こうに、刈り込んだばかりの庭木をみながら、煎れ方にも工夫があるらしい、お茶をすするのであった。
ーー千葉市は都町の植木屋さんーー
お料理の先生をしていたと言っていたから、ひとつひとつの手がこんでいて、おいしい。おいなりさんも、五目ご飯のと、シラスにサンショの実をまぜてある風雅な味の二種類。こちらがお金を払わないといけないような。
デザートにも、バナナとリンゴとカキを、バターで炒めた、あたたかいもの。
窓の向こうに、刈り込んだばかりの庭木をみながら、煎れ方にも工夫があるらしい、お茶をすするのであった。
花が咲き、シジミチョウが、たくさん、やってきた。
ほったらかしていると、庭がシソだらけになるので、種になる前に、抜きましょうと、ウェブ・アドバイスがあるのだが、植木屋さんは、ほったらかしてみようと、思うのであった。
千葉の豪雨、外出中だったので、今夜は駅で野宿かな、と覚悟したけど、夜半すぎに無事帰宅。
翌朝のニュースみてびっくり。お盆に帰省したご子息たちの路駐かとおもってたら、水没した車だったとは。
源実朝の歌を思い出してしまった。
時により過ぐれば民の嘆きなり八大竜王雨やめたまえ
私の返歌。
百年に一度に合う雨と言うもがな変わりし世に咲く百合も嘆かし
わが庭も、夏草が生い茂り、ニワというより、ハラッパのよう。歩くとバッタが飛び交い、アトラクションみたいで、おもしろい。
が、そもそも、ニワより、ハラのほうが古い言葉で、朝鮮の言葉とも重なっているのでは、という説もあるようだ。イエがムラがりヒトの歩きまわるところにハラができ、縄文から弥生への時代に農地としてのノラができ、もうこっちでないあっちの境がヤマになる、という感じなのだろうか。みな文字以前の古い言葉由来だそうだ。
イエと外の境にある土間をニワとも言っていたのだが、そこはヒトが実用的な作業をイエの中(境)でやりはじめたことと関わるのかもしれない。
というのは、縄文時代、イエの真ん中にある炉は、料理の場所ではなく、祭儀、火を絶やさないという神聖な行為のためのものだったらしい。オリンピックの聖火を保持しているのと、おんなじだ。