去年までにはなかった、こんなところから、白い彼岸花、白花曼珠沙華が、にょっきりと。
もうすぐ、秋のお彼岸だよと、知らせてるのかな。
ーー千葉市は都町の植木屋さんーー
千葉の豪雨、外出中だったので、今夜は駅で野宿かな、と覚悟したけど、夜半すぎに無事帰宅。
翌朝のニュースみてびっくり。お盆に帰省したご子息たちの路駐かとおもってたら、水没した車だったとは。
源実朝の歌を思い出してしまった。
時により過ぐれば民の嘆きなり八大竜王雨やめたまえ
私の返歌。
百年に一度に合う雨と言うもがな変わりし世に咲く百合も嘆かし
わが庭も、夏草が生い茂り、ニワというより、ハラッパのよう。歩くとバッタが飛び交い、アトラクションみたいで、おもしろい。
が、そもそも、ニワより、ハラのほうが古い言葉で、朝鮮の言葉とも重なっているのでは、という説もあるようだ。イエがムラがりヒトの歩きまわるところにハラができ、縄文から弥生への時代に農地としてのノラができ、もうこっちでないあっちの境がヤマになる、という感じなのだろうか。みな文字以前の古い言葉由来だそうだ。
イエと外の境にある土間をニワとも言っていたのだが、そこはヒトが実用的な作業をイエの中(境)でやりはじめたことと関わるのかもしれない。
というのは、縄文時代、イエの真ん中にある炉は、料理の場所ではなく、祭儀、火を絶やさないという神聖な行為のためのものだったらしい。オリンピックの聖火を保持しているのと、おんなじだ。
が、春はどこへやら、すぐに暑い日々にはいるので、早くやりすぎると、また新芽が伸びきったようになってしまう。そうなると、冬のもみ上げをしたとき、お侍のちょんまげみたく、あまり見栄えしない。
が、摘むのが5月も半ばになると、新芽も固くなりはじめ、指では摘めない。無理やりやると、枝ごと折れるし、なにせ手が痛くてもたない。
しょうがないので、鋏で芽を飛ばす。しかし、なんで素手でやってきたのだろう? 鋏で切ると、細胞つぶれて切り口が赤茶けてくるからか、鋏に松ヤニついて切れなくなって手のほうが速いからか、それとも、職人としての根性を養うためか?
流行りのAIに聞いてみた。やはり、見栄えと速さだと返答してくる。固くなった芽を無理に手でひっぱると、枝を折るので、鋏でやりましょうとも。