居住している町内会の文化祭に、「庭と戦争」とタイトルして、自著三冊、出展した。
また戦争がはじまってしまったので、ふと、<にわ>をめぐるものをだしてみようと思い立ったのは、先月。
<にわ>というと、囲われた園、景観、風景、と思われがちだが、少なくとも、日本の古語の意味が違うのは、辞典を引けば、すぐわかる。が、造園学会などの庭園史では、その語義的な事実が無視されているのは、なんでなんだろうか?
<にわ>はもともとは、水平線手前の漁場であり、転じて、地平線手前の山での仕事場であり、家の外の手前の作業場である土間、のことを意味するようになった。つまりそこは、自然よりかは、人の境界的な営みの場所に近い、むしろ外との交通空間としての都市の概念を志向させていく言葉なのである。だから、海や山に出向くのには、天気を見誤れば、命取り(死の手前、あの世との境界)になる。ゆえなのか、「日和」、とも表記されたのである。
歌手の椎名林檎さんなど、「歌舞伎町はわたしの庭」と歌ったが、この言い回しのなかにこそ、起源的な意味が継承されている。だからまたそこは、鎬を削る場所にもなるのだろう。
が、戦争には、なるだろうか?
展示説明の最後は、私の拙い短歌で閉められた。
日和見とが朝廷の国見になるまえは天を気にする民の営み